五能線と金木への旅

今年もJR東日本の15000円乗り放題切符で貧乏旅をしてきた。4日間有効なので1日は大糸線の旅で費やし、中一日をおいて五能線乗車と金木散策をすることにした。
さて6月22日、早朝東京発のこまちに乗って秋田に行き、ここで五能線のリゾートしらかみ3号に乗り込んだ。五能線といっても近年人気急上昇の路線で、能代と五所川原を結んでいるので五能線。リゾートしらかみは秋田始発で弘前または青森まで行くのだが、私は五所川原までの180キロ、4時間を乗車する。しらかみは指定席320円だけで乗車でき、津軽三味線のあれやこれやのイベントがあったりで人気があり、この日のしらかみも満席。五能線の人気もこの列車に負うところが大きい。
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秋田から東能代まではおまけのような区間なのだが、私の年代にとっては忘れがたい場所だ。昔、日本で二番目に大きい湖と言えば八郎潟だった。この八郎潟は私が十代の頃に埋め立てられ、日本農業の輝かしい未来を語るはずのところだった。ところが減反政策が始まると広大な八郎潟の農地もその対象となり激しい反対運動が展開された。八郎潟という駅があり、そのあたりから西はひたすら真っ平らな風景が広がる。
しらかみは東能代から五能線に入る。ここで大きなミスを犯していたことに気づいた。東能代で列車はV字状に折り返すから前後で左右が入れ替わるのだ。私は自信をもって海側の席を予約していたつもりだったのに、東能代からつまり五能線の見どころである海側が遠い山側に席が変わってしまったのだ。愚かだった。
東能代から鰺ヶ沢まで五能線は海岸線をなぞるように走る。なるほどの光景だ。ちょっと時間がかかるが一度は乗ってもいい路線だろう。
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途中、千畳敷の駅では15分停車して目の前の岩畳まで散歩できる。イカ焼きの匂いに釣られてお客が群がった。イカと潮の香りが満喫できた。この千畳敷から太宰治の足跡をたどる旅が始まる。小説「津軽」の一節が刻まれた碑が立っている。正直凡庸な部分だ。五能線の深浦、木造が「津軽」には出てくる。
約4時間で五所川原に着いた。15:02。
五所川原の市域は広くて金木まで含んでいる。JRの五能線と私鉄の津軽鉄道(津軽五所川原)の駅になっている。昔のことは知らないけれど、今の五所川原はいずこの中都市と同じく活気が乏しくみえる。しかも町の中心がどこなのかが私にはわからなかった。そして何と言っても目立つのが立佞武多(たちねぶた)の館。30メートル以上はあろうか、周囲を睥睨するようにぬっと立っている。青森県の祭りと言えばねぶた、青森、弘前、黒石など各地にあるが、五所川原のが立佞武多といって23メートルほどの巨大な立像が三体町中を練り歩く。一時期中断していたのが近年復活し、これを売り物にしようというわけで立佞武多の館が作られた。内部に展示された三体のねぶたはぎょっとする大きさだ。
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翌日は太宰治を歩く旅だった。津軽五所川原の駅から津軽鉄道に乗る。この駅はJRに比べると何ともささやかでけなげだ。応援したくなる。
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一両の列車に乗客は4人。3人は2つ先の駅で降りてしまったので私一人が列車を独占した。日曜日の朝であればやむなしか。列車はひたすらの田園地帯を走る。いずれは十三湖に注ぐ岩木川が開いた平野を迷わずに走る。振り返ると岩木さんが見えた。頂上はずっと隠れていた。それでも予期していなかったのでうれしかった。月山、鳥海山、岩手山と東北の独立峰はその地域に育った人には特別な感慨があるのもわかる気がする。
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五所川原から金木までは30分足らずで着く。でもここで降りないで一駅先の芦野公園で下車する。芦野公園というのは大きなため池で広々とした林と池と草地のある公園だ。ここの無人駅はかつて吉永小百合のポスターに使われた。桜の名所になるらしい。そのポスターと現在の駅前を並べてみる。
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公園は散歩する小童がほんのわずか、ヒグマもいる動物園からは物音もしない。数分で文学碑と太宰治像のある岬に着く。ここも太宰が散策に訪れたところのようだ。文学碑の銘文は「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」という初期作品の冒頭に掲げられたヴェルレーヌの詩らしい。何十年隔てて読んでみてもきざですね。
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公園から一駅分歩いて金木まで行くことにした。といっても15分ほど。途中金木小学校、思い出の碑を通り、さら雲祥寺を通り斜陽館に着く。雲祥寺は幼い太宰が地獄絵を見ておびえたと「思ひ出」に書いている。案内をこえば本堂にあがらせてもらえ、地獄絵をみることができる。絵そのものは珍しいものではないが、太宰がこれを見たのかと思うとじっとながめてしまう。この寺の住職はアジアと日本の人権擁護活動に熱心な人でネトウヨの攻撃にもさらされているらしい。東北の片隅で臆せず自分の主張を表明し続けるのは勇気のいることだ。
斜陽館は寺のすぐそばだった。圧倒されるのは四囲をめぐる煉瓦塀の頑丈さと高さだ。はっきりいって刑務所並み。そして内部の豪華さ。300人の小作人を支配し金融業(要するに高利貸し)まで営んでいた津島家にとって、潜在的な敵は貧しい小作人だったのだろう。彼らに対する敵意と猜疑心が煉瓦塀を生み出した。
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斜陽館が太宰が中学校入学まで暮らした屋敷で戦後は長い間人手に渡って旅館となっていた。内部についてここで私が言いたいことはない。太宰が自分の出自に負い目を抱いたのも当然だった。
斜陽館のすぐそばに太宰治疎開の家(新屋敷)がある。
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この屋敷はもともとは広大な斜陽館の一部で、太宰の長兄が所帯をもつときに離れとして作られたものだという。戦後母屋から90メートル移動し津島家の手から離れた。最近、この家を所有していた呉服屋さんが公開に踏み切った。太宰はここで戦争末期と戦後直後家族で疎開生活を送り多くの作品を書いた。金木にこれから行く人は必見の場所だろう。
さて旅も終わりだ。最後に津軽鉄道の記念品の写真。うれしいことに津軽鉄道は駅で切符を買うと硬券を発行してくれる。そして金木駅で太宰治の顔が印刷された特別切符がもらえる。最高のお土産だろう。
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偶然の一致かもしれないが、若者に支持される文学者は東北から生まれている。その代表格が石川啄木、宮澤賢治、そして太宰治だ。私もこの3人ゆかりの地を旅した。私が若かった頃は、太宰治>石川啄木>宮澤賢治だったが、たぶん今は宮澤賢治>太宰治>石川啄木の人気順になっている。なぜこの3人が時代を超えて若者の心をとらえるのだろうか。



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