田端から日暮里へ

 前から訪ねたいと思っていた田端の文士村記念館と日暮里の子規庵を回ってきた。田端は関東大震災で郊外の領域が荻窪あたりまで拡大するまで、東京西郊の新興住宅街だった。安い家賃ということもあってだろう文士や画家などが大正から昭和初期にかけて集まり住むようになった。なかでもよく知られるのが芥川龍之介だった。彼は田端駅からほど近くに居をかまえていた。文士村記念館は駅前にあっておよそ文士村に似つかわしくない建物なのだが、こじまりとしていて居心地は悪くなかった。ちょうど芥川展をやっていた。芥川の死をめぐるあれこれに焦点をあてた展示は飽きなかった。繊細な神経がずたずたになった末の芥川の死はひたすら痛々しい。
 田端から日暮里に回った。日暮里駅前の跨線橋からは新幹線から山手線まで次々と列車がやってくるので親子連れが入れ替わり金網にへばりついている。そういう私も20分ほど見物していただろうか。鉄ちゃんの聖地というべきか。
 日暮里駅前から10分も歩くと子規庵に着く。途中羽二重団子の本店がある。一本300円弱。スーパーで3本100円の団子を食べ慣れている身としては二の足を踏んでしまう。
 子規庵は山手線近くの住宅街にあり、二階建ての民家とラブホテルに周囲を囲まれている。子規が住んでいた明治後期の敷地は恐らく40坪ほどだったろうか。平屋で4畳半2間に8畳一間のささやかな家だった。空襲で焼けたが戦後復元された。玄関からあがればすぐに部屋だ。子規の寝ていた8畳間には彼が使っていた机の復元品が置かれている(写真)。
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机の一部が四角に切り込みがあるのは子規が膝を曲げて座れなかったので立て膝のまま机に向かえるようにする工夫だったという。この部屋でのたうつような苦しみに耐えながら子規は文筆活動に没頭した。芥川から子規、そして本郷方面に行けば樋口一葉、石川啄木終焉の地につながる。

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