永井愛作・演出「私たちは何も知らない」

 先週、池袋の芸術劇場で永井愛作・演出の新作劇「私たちは何も知らない」をみてきた。幕開けが「原始女性は太陽であった」で知られる『青鞜
』の創刊宣言をラップで流れたのにびっくり。これは昔のお話しではないんだというアピールなんだろうか。
 『青鞜』は青鞜社に集まった女性たちが1911年から1916年まで発行した雑誌のことで、高校の教科書にも出るくらいに有名だ。雑誌名もイギリスの知的女性のシンボルであったブルーストッキングを日本語にしたもの。ポスターはこれを表している。
IMG_2615.JPG
 知的女性の集まりであったのは事実だが青鞜社は文芸サロンとしてではなく、世間からはスキャンダラスな「新しい女」のサークルとみなされた。その中心が平塚雷鳥だった。たった5年間しか存在しなかった雑誌だが、貞操論争、堕胎論争、売春論争、さらに母性保護論争と『青鞜』誌上繰り広げられた。劇には主役の平塚のほかに伊藤野枝、尾竹紅吉、保持研、岩野清、山田わか、男性では平塚の「若いつばめ」だった奥村博が登場する。これに与謝野晶子と青山菊枝、表紙を描いた長沼智恵子がいればフルメンバーになる。
 それでなんで「私たちは何も知らない」というタイトルになるのかという問題だ。私の考えでは、私たち自身がありきたりの知識以上に青鞜社の人びとの何をしっているのかという問いかけと、彼女たち自身が自分たちがどこに向かうのかわかるはずもないまま模索を続けていたのだという意味があるのではなかろうか。実際、たった5年間で100年後の現在も鋭い問題であり続ける論争を20代の女性がいくつも投げかけたこと自身が驚異的ではなかったか。そしてその渦中を生き続けた彼女たちの内面の葛藤やら悩みやらに私たちは想像しようとしているだろうか。必死だけれども未熟かもしれず未来がどのようにも見通せない若い女性たちをこの劇はうまく表現している。そのあやうさ、破天荒ぶりは伊藤野枝を演じた新人の藤野涼子のある種のたどたどしさがぴったりだったように思う。
 劇は青鞜社解散後の彼女たちのその後もさりげなく紹介している。女性解放運動の先駆けだからこそか、彼女たちの生涯はそんなに明るくまっすぐであったわけではない。それも含めて歴史を見つめるべきだというのが永井愛の考えなのだろう。
 

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント