寅さんと「キューポラのある街」

 今年最初の映画として「男はつらいよ お帰り寅さん」をみてきた。そして年末に録画しておいた「キューポラのある街」をみた。いろいろな感想はあっても一言で言えば寅さんは懐かしかった。みんな死んじゃったなあ。寅さんに若かりし頃の吉永小百合の姿があった。それで「キューポラのある街」をみようと思った。
 寅さんの第一作は1969年、前年に放映されたテレビ版が映画に発展して制作された。これに対して「キューポラのある街」は1962年公開。たったの7年しか離れていない。カラーとモノクロの違いはもちろん時代を感じさせるのだが、それ以上に大きな落差がこの二作の間にはあるように感じる。一言で言えば寅さんは高度成長期を背景によき社会や人間へのノスタルジーに貫かれた作品群といえる。
 これに対して「キューポラのある街」は高度成長へとまっしすぐらに進む日本社会から取り残さつつある中小企業、在日朝鮮人、貧困が同時代の日本として描かれる。たった7年間で時代を切り取る視点が変わった。それ以前には映画「にあんちゃん」(1959年)、この間にテレビドラマ「若者たち」があって日本社会の暗部が大きなテーマとなっていた。「キューポラのある街」はそうした流れの金字塔なのだろう。
 恥ずかしながら「キューポラのある街」をみるのは今回が初めてだった。当然現在の視点からみることになる。ここでも吉永小百合と浜田光夫以外はほとんどの出演者が物故者となっているという感想が第一に湧いてくるのはやむをえない。それでも私は58年遅れでみたこの映画に意外にもほろりとした。なぜなんだろうと考えた。1962年当時の社会問題のかなり多くは現在ではリアリティを失っている。北朝鮮への帰国問題は「夢と理想の国」への帰還ではなかったと今ではわかりきったことになっているし、キューポラの街川口は今や外国人も多く住むマンション街に変貌した。主人公が進学する決意する定時制高校も様変わりしている。貧困だけは姿を変えて今も大きな社会問題であり続けているが。そうであれば「キューポラのある街」も寅さん同様に懐かしさにとらわれる映画であっていいように思うのだが、そうはならないのはなぜなんだろう。たぶん、さまざまな困難の中で懸命に生き続けようとする主人公たちに時代を超えて共感するからではないか。悪くいえば前向きに生きることがやや押しつけがましく感じてしまうのは58年後、よかれ悪しかれ日本社会なれの果てからみているからなのだろう。

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