テーマ:歴史

寅さんと「キューポラのある街」

 今年最初の映画として「男はつらいよ お帰り寅さん」をみてきた。そして年末に録画しておいた「キューポラのある街」をみた。いろいろな感想はあっても一言で言えば寅さんは懐かしかった。みんな死んじゃったなあ。寅さんに若かりし頃の吉永小百合の姿があった。それで「キューポラのある街」をみようと思った。  寅さんの第一作は1969年、前年に放映さ…
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永井愛作・演出「私たちは何も知らない」

 先週、池袋の芸術劇場で永井愛作・演出の新作劇「私たちは何も知らない」をみてきた。幕開けが「原始女性は太陽であった」で知られる『青鞜 』の創刊宣言をラップで流れたのにびっくり。これは昔のお話しではないんだというアピールなんだろうか。  『青鞜』は青鞜社に集まった女性たちが1911年から1916年まで発行した雑誌のことで、高校の教科書…
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田端から日暮里へ

 前から訪ねたいと思っていた田端の文士村記念館と日暮里の子規庵を回ってきた。田端は関東大震災で郊外の領域が荻窪あたりまで拡大するまで、東京西郊の新興住宅街だった。安い家賃ということもあってだろう文士や画家などが大正から昭和初期にかけて集まり住むようになった。なかでもよく知られるのが芥川龍之介だった。彼は田端駅からほど近くに居をかまえてい…
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映画「米軍が最も恐れた男カメジローの生涯」と「太陽がほしい」

 二日続けてドキュメンタリー映画を横浜でみた。まず「米軍が最も恐れた男カメジローの生涯」(佐古忠彦監督)。前作「米軍が最も恐れた男その名はカメジロー」の続編になる。沖縄人民党を率いて米軍政と真っ向から対決した瀬長亀次郎の生涯を描いたのは共通するが、1950年代から書き継がれた日記を素材としながら亀次郎の素顔に迫ろうとしているのが本作の特…
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映画「主戦場」にのけぞる

ユニークな話題のドキュメンタリー映画を遅くなったがようやく横浜ジャック&ベティでみてきた。ほぼ満席。上映館は神奈川ではここだけだから当然か。 この映画はアメリカ映画という分類になるらしいが、舞台は日本、テーマは「従軍慰安婦の何が真実なのか」。監督は日系アメリカ人で日本に留学経験のあるミキ・デサキ。 映画の基本は、従軍慰安婦が日本…
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多磨全生園とハンセン病資料館

 前から一度は行かねばと考えていた多磨全生園とその構内にあるハンセン病資料館に出かけた。武蔵野線の新秋津駅からバスで10分、全生園前で下車し、全生園の外郭沿いに10分歩くとハンセン病資料館に着く。ここはハンセン病についての誤解と偏見を取り除くことをめざして1993年に開館した施設で、ハンセン病の患者さんたちが今も暮らす多磨全生園の一画に…
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吉田裕「日本軍兵士」(中公新書)

 本の読後感を書くのは久しぶりかもしれない。ご無沙汰していた理由もとくにはなくて、ただ億劫だったというだけのことだ。  さてこの本「日本軍兵士」だが刊行は2017年12月なのでつい最近の本というわけではない。読み始めたら一気に読み進んでしまった。本書に書かれていることのかなり多くは今までも研究されてきたことなのだが、ここまでまとま…
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池袋から落合まで文化の香りを求めて

 かなり前から池袋から下落合にかけて散歩をしてみたかった。メジャーとはいえないにしても知る人ぞ知る気になる施設が点在しているのだ。  池袋駅西口に出て10分足らずで到着するのが自由学園明日館。  自由学園は1921年にクリスチャンの羽仁もと子、吉一夫妻がこの地に創立した学校で大正期の自由教育を代表する学校だった。1934年に…
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朝鮮通信使の寄港した牛窓

 10月末に広島と岡山を2泊3日で旅した。その折り、30年来立ち寄りたいと思っていた牛窓に足を運ぶことができた。牛窓は倉敷や宮島のような全国区の観光地ではないが、朝鮮通信使の寄港した港町として知る人ぞ知る町だ。車なら岡山から一時間足らずで行ける。私たちは赤穂線で岡山駅から邑久駅まで行き、そこからバスに30分ほどゆられて牛窓に着いた。邑久…
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韓国映画「密偵」

 韓国映画「密偵」を相鉄ムービルで見てきた。主演はソン・ガンホ、監督はキム・ジウン。昨年韓国で750万人の観客を動員した映画だ。  時代は1920年代初頭の日帝統治下のソウル。日本の統治機関である朝鮮総督府の警察は、朝鮮独立をめざして武力闘争を行っている義烈団(指揮官をイ・ビョンホン、ソウルでの実行責任者を実力派として売り出し中の…
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国立歴史民俗博物館の企画展「1968年」

 11月10日に千葉県佐倉の国立歴史民俗博物館(歴博)でやっている企画展「1968年」を見に行ってきた。たった50年前の時代をテーマにした企画展を歴博でやるようになったとはびっくり。そのチャレンジ精神に敬服すると同時に、「そうか1968年は歴史の一部になってしまったのか」という思いが湧いてきた。あの年私は高校3年生だったから、若かりし自…
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映画「沈黙」

 スコセッシの話題作「沈黙」を見てきた。客の入りはあまりよくないだろうという予想に反して横浜のムービルは半分近くの席がうまっていた。遠藤周作原作?巨匠スコセッシの作品?テレビでよく取り上げられている?理由はよくわからない。  もう原作の細かいところは忘れてしまったが、冒頭とラストを除いて原作にそれなりに忠実に作られているように思え…
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8月のNHKスペシャル

 ここしばらくの間NHKの受信料支払いを保留している。もちろん安倍政権と癒着したNHK執行部に抗議するためだ。でもふだん見る番組と言えば実は圧倒的にNHKなのだ。7時9時のニュースは腐りきっているが、NHKの内部には地道に番組を制作している人がいるのは確かだ。8月のNHKスペシャルはたゆまぬ努力を続けている人がいることを教えてくれる。今…
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甲州街道を歩く 高井戸まで

 時々思い出したように甲州街道を歩いている。高尾から甲府まではすでに歩いた。昨日はまだ踏破していない都内部分のうち新宿から高井戸まで歩いた。この部分はそう面白くない甲州街道歩きの中でも興趣の湧かない最低区間だろう。首都高が高架で走る両側を20号線が片道3車線で挟んでいて、その外側はビルとマンションの壁が連なる。そのため歩道は視界が狭く何…
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川喜田敦子『ドイツの歴史教育』

 新聞の書評で紹介されていた『ドイツの歴史教育』(川喜田敦子 白水社 2014年)を読んだ。ドイツは戦争責任に関して反省と謝罪を行ってヨーロッパの中に確固たる地位を築いてきたのに対して、日本は過去を直視することを避けたまま戦後を歩み続けたという。ではドイツではどのような歩みをたどったのか、それは単純に優等生的だとのみ評価できるのだろうか…
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映画「望郷の鐘」

 私にしては最近映画を見ることが多い。というよりは前から気になっていた映画の上映が続いたというべきか。  長野県の伊那谷に阿智という村があり、ここには満州開拓団の記念館が少し前にオープンしていて、一度訪ねてみたいと思っていた。映画はこの阿智村の長岳寺住職だった山本慈昭が主人公だ。  1945年5月(敗戦の3ヶ月前)、国策で満…
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神社は悔い改めない

 今日は甲州街道を相模湖駅から上野原駅まで歩いてきた。気温5度といいながら汗ばむほどのいい天気だった。相模湖駅から少し甲府よりに行ったところにある宿場を与瀬宿といった。今は本陣跡の表示が残るだけだ。その本陣跡に明治天皇お立ち寄りのでっかい記念碑がある。この記念碑の揮毫は荒木貞夫となっている。皇道派の重鎮、陸相そしてA級戦犯、そして釈放後…
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五日市憲法を歩く

前から気になっていた場所にまた一つ足を運べた。五日市憲法(正式には日本帝国憲法)ゆかりの地を訪ねる散歩だ。ゴールは五日市から歩いて1時間ほど、三内川上流の深沢集落に残されている土蔵だ。  武蔵五日市駅に10時前に着いた。この駅に降りた最後は40年ほど前で、その時とうって変わって駅は高架になりどこにでもある真新しい駅舎に変身…
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第五福竜丸

以前から一度行きたかった第五福竜丸展示館を訪ねた。りんかい線で新木場まで出てここから徒歩10分、夢の島公園の一角、高そうなクルーザーが繋留してあるマリーナのすぐそばに展示館はある。夢の島というと私たちの世代には1970年ころの東京ゴミ戦争が思い出される。東京のゴミを大量に処分するために夢の島の埋め立てが進とダンプが通過する江東区の…
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いのはなトンネル慰霊碑

 高尾駅から小仏峠方面に歩く途中、圏央道が居丈高に覆い被さるように谷をまたいでいるあたり、蛇滝口バス停から右に入ると中央線の線路に突き当たる。その直前にある慰霊碑がこれで、いのはな(湯の花)トンネルの空襲犠牲者を追悼するために戦後に建てられたものだ。  1945年8月5日、玉音放送の10日前、甲府方面に向かう列車が米軍のP51…
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浜口雄幸の遭難現場

 この写真だけでこれが何かわかる人は歴史散歩好きか鉄っちゃんだ。東京駅には暗殺現場と暗殺未遂現場にその位置を示すプレートが埋め込まれている。これは浜口雄幸が右翼に狙撃され重症を負った現場のプレートだ(もう一つは丸の内南口に原敬の暗殺現場のプレートがある)。八重洲中央口の新幹線乗り場手前の階段近くで、1930年の光景は想像もできない。…
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日本の人身売買状況改善されず

 アメリカの国務省は毎年各国の人身売買の現況に関する報告を発表している。何でアメリカの国務省がという疑問もないわけではないが、貴重な報告であるのはまちがいない。  それによると、ロシア・中国は4段階のうちの最低段階の評価をされている。さて日本だが、政府にそれなりの努力がみられるが人身売買対策の最低基準を満たしていないと評価され、4段階…
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田中正造の直訴現場

 1901年12月10日、田中正造は貴族院からでてきた明治天皇の馬車に向かって直訴を敢行した。その時正造は61歳、直前に衆議院議員を辞職していた。場所は日比谷公園南西の西幸門交差点。当時の貴族院は今の経産省敷地にあった。現場から脱原発テント村はわずか百メートル強のところにある。  今日は田中正造の直訴を歩く散歩を知人たちとしてきた…
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『タイムっち』(なぜ天皇が神サマになったのか)

本書は岡田明作・みなみななみ画のマンガで読む日本キリスト教史である。もっと具体的には、近代日本で天皇が神格化され国民の上に君臨するようになる流れの中で、日本のキリスト教教会はどのように振る舞ったのか、キリスト教団では曖昧にされてきた歴史にクリスチャンである作者と画家が正面から向き合おうとした本である。戦前のキリスト教会が歩んだ道は無…
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マンション族のはしり

 1955年頃から約10年間、私は中目黒にあったEJマンションというマンションで育った。住宅公団の団地がようやく登場しはじめた頃の民間分譲マンションだったのだから、草創期のマンションということになる。EJとはどういう由来があるのか今でもわからない。5階建てでたぶん80戸ほどが入居していた。2DKの間取りに水洗トイレ、風呂付きだった。団地…
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安世鴻さんの「慰安婦」写真展

 新宿エルタワー28階のサロンで開かれている安世鴻氏の「慰安婦」写真展に行ってきた。裁判所がニコンに会場使用を命じた結果、26日から展示が始まった。初日は在特会やら右翼がやってきたらしいが、今日は妨害はなかった。入り口には金属探知機が置かれ、ガードマンも数人が配置されていてややものものしい。一度は右翼の脅しに屈したとはいえ、ニコンは写真…
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沖縄でまた歴史のねつ造

 知人から沖縄戦の真実を隠蔽する策謀がまたまた問題になっていることを聞いた。この次第はこういうことらしい。首里城の下に32軍(司令官牛島中将)の司令部壕があったことはよく知られている。沖縄県ではこの壕の前に案内板を建てることを企画し、昨年10月、県の有識者委員会(会長池田榮史琉球大教授)に検討を依頼した。11月、委員会は壕の説明文案を答…
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河村たかしと懲りない面々

 河村名古屋市長が南京の共産党訪日団に向かって、「南京事件(民間人の大量虐殺)はなかった」と発言し、訂正も謝罪もしないまま居直っている。実に蛮勇ある発言だ。根拠はというと、「自分の父親(職業軍人)が南京で中国人に親切にしてもらったから」なのだそうで。ぶったまげてしまう。南京市は名古屋(姉妹都市)との交流を停止する措置にでた。  河村は…
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大磯の靖国碑

 この2週間、ほとんどこもりっきりの生活をしていたので、体をうごかさなくちゃと思い立って大磯の高麗山に登ってきた。標高200メートルほどのこの山は大磯駅の裏にそびえていて、その麓に高来神社がある。もともとは高麗神社といっていた。その昔、高句麗の遺民がこの地にすみついて高麗の地名が生まれたという。埼玉県の高麗と同じだ。その渡来人の守り…
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日本大使館前に慰安婦像

 海上での中韓紛争が注目を集めている時に、ソウルの日本大使館前(道路をはさんで正面という位置らしい)に少女の姿をした慰安婦像が設置されて、これはこれでニュースになっている。これは韓国の慰安婦支援団体が毎週水曜日に実施している日本大使館前集会(つまり日本は慰安婦問題で謝罪と賠償をせよと要求する集会)が1000回となって記念に作成したものだ…
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