多磨全生園とハンセン病資料館

 前から一度は行かねばと考えていた多磨全生園とその構内にあるハンセン病資料館に出かけた。武蔵野線の新秋津駅からバスで10分、全生園前で下車し、全生園の外郭沿いに10分歩くとハンセン病資料館に着く。ここはハンセン病についての誤解と偏見を取り除くことをめざして1993年に開館した施設で、ハンセン病の患者さんたちが今も暮らす多磨全生園の一画にある。
 
 1906年にハンセン病患者を隔離する政策が始まり、1909年に全生園は設立された。その当時は雑木林とはたけが広がる広大な武蔵野の実家がまばらな土地だっただろう。1931年にハンセン病患者を徹底して隔離収容する政策が本格化し、患者を収容するばかりでなく断種、中絶などすさまじい人権侵害が行われた。子どもたちも例外ではなかった。展示されている子どもたちの写真を見たら涙が出そうになった。

 戦後、プロミンという特効薬が発明され隔離収容政策は世界では廃止されていったの対して、日本ではらい予防法が制定されて隔離政策が継続された。ハンセン病が遺伝病でもなく感染力がきわめて弱い伝染病で薬によって完治するとわかっても患者(というよりは完治したのに外での生活ができなかった入所者)は外で自由に暮らすことが困難だった。らい予防法が廃止されたのは1996年のことであり、元患者たちが国の責任を追及するためにおこした裁判で勝訴したのが2001年だった。

 しかし、入所者は高齢化がすすんで社会復帰は困難なため現在も全国14カ所(私立は1カ所)の療養所で多くの人が暮らしている。偏見がなくなったかといえば、旅館への宿泊が拒否される事件があるなど依然として問題は残されている。ハンセン病の作家として知られる北条民雄(1937年没)の本名が遺族の了解を得て公表されたのは2014年のことだ。だから一度は多くの人が訪ねる価値がハンセン病資料館にはある。今日もどういう団体かはきかなかったが数十人の新社会人が研修で訪問していた。

 全生園は入所者の生活を邪魔しない配慮をすれば構内を自由に散策できる。数日前だったら見事な桜を満喫できただろう。
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 それでもわずかに桜は散り残り、菜の花とナツダイコンが咲き誇っていた。売店も食堂もあって便利だ。納骨堂、入所たちが作った神社、図書館、男性用の雑居棟だったヤマブキ舎などが目についた。何もない更地なのだが小学校跡の広場も私には印象深かった。

 今日は半袖でもいいくらいに暖かかった。でも武蔵野の冬のきびしい北風に耐えてここで生き抜いた入所者のことが頭から離れなかった。

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